新日本妖怪紀行 第92回|歴史上、初めて怨霊になった皇族(平群町・奈良市)

長屋王墓。住宅地にあり少し小さめの御陵です

《連載》
新日本妖怪紀行|第92回

「歴史上、初めて怨霊になった皇族」

生駒郡平群町梨本字前「長屋王墓」
奈良市二条大路南「長屋王邸跡」

今回から日本妖怪研究所の亀井澄夫氏からバトンタッチして、妖精妖怪文化伝承研究所の竹林賢三が務めます。同じく奈良にまつわる不思議なお話をお届けしていきますので、どなた様も変わらずご贔屓のほど、 よろしくお願いいたします。
そのバトンタッチ第一弾は「歴史上、初めて怨霊になった皇族、長屋 王」です。それでは始めましょう。
長屋王墓のそばにある長屋王御陵公園
長屋王は天武天皇の長男、高市皇子たけちのみこの子として生まれ、左大臣にまで昇り詰めた人物です。しかし、この出世により藤原四兄弟(武智麻呂むちまろ房前ふささき宇合うまかい麻呂まろ)の反感を買うことになります。四兄弟が藤原不比等の娘、光明子を皇后にしようとした時、長屋王が猛反対したことで両者の溝が決定的になるのですが、藤原氏は皇族ではなく、そもそも皇后となる女性を出せない家格でしたから、長屋王の意見は当然で、正しかったのです。

でも、塗部造君足ぬりべのみやつこきみたり中臣宮処連東人なかとみのみやこのむらじあずまびとという下級官僚が「長屋王は妖術を学び、国家(天皇)を倒そうとしています」と密告したことで長屋王の運命が急転。すぐに藤原氏の軍勢が長屋王の邸を取り囲み、弁明もさせぬまま長屋王と妻子らを自害させました。やがて藤原四兄弟が政治の実権を握り、天平元年(729)光明子を皇后にしてしまうのです。

怨霊の発動開始!

と、ここまでは日本の正史である『続日本記』に書かれていて、続く天平10年(738)の項目には「東人あずまびとは長屋王のことを、事実を偽って告発した人」として斬り殺されたことも書かれています。ですから、その頃には長屋王の無実は世間に広まっていたのでしょう。それもそのはず、その少し前に長屋王は怨霊と人々に認識され、都を襲っているのですから。天平9年(737)に都で疫病が流行り、藤原四兄弟が4人とも命を落とします。聖武天皇は神仏の加護を求めて祈りますが効果はなく、長屋王の子女たちの地位を上げるなど、怨霊の怒りを鎮めるような措置を講じています。
解説板の後ろの建物がミ・ナーラです

邸の跡から木簡4万点出土

現地に行ってきました。まずはお墓「長屋王墓」です。国道168号線から脇道に入った住宅地にあり、直径15mほどの円墳で、少し小さな印象を受けました。すぐそばに「長屋王御陵公園」もあります(これも小さいです)。

次に向かったのは「長屋王邸跡」。昭和63年(1988)に、奈良そごう建設予定地から長屋王の邸跡が発見され、4万点に及ぶ墨で書かれた木簡も出土しました。

内容は、長屋王に天皇からアワビが進上されたことや、稲の刈り取りにあたった人の食事のため蔵にあった稲を支出したこと、氷室があり夏などは酒に氷を入れて飲んでいたこと、という牛乳を煮詰めて作るチーズのようなものを食べていたことなど、貴重な資料が続々発見され、地元の方や研究者が建設予定地を史跡として残すように働きかけたのですが、工事は予定どおり進んで奈良そごうは開店しました。でも、おそらく皆さんご存じのように、平成12年(2000)に奈良そごうは閉店。そごう自体も倒産へ追い込まれたことで、長屋王の祟りの噂も広まりました。その後、同じ場所でイトーヨーカドー奈良店がオープンするも数年で閉店し、現在は複合集客施設「ミ・ナーラ」が営業しています。

内容は、長屋王に天皇からアワビが進上されたことや、稲の刈り取りにあたった人の食事のため蔵にあった稲を支出したこと、氷室があり夏などは酒に氷を入れて飲んでいたこと、蘇という牛乳を煮詰めて作るチーズのようなものを食べていたことなど、貴重な資料が続々発見され、地元の方や研究者が建設予定地を史跡として残すように働きかけたのですが、工事は予定どおり進んで奈良そごうは開店しました。でも、おそらく皆さんご存じのように、平成12年(2000)に奈良そごうは閉店。そごう自体も倒産へ追い込まれたことで、長屋王の祟りの噂も広まりました。その後、同じ場所でイトーヨーカドー奈良店がオープンするも数年で閉店し、現在は複合集客施設「ミ・ナーラ」が営業しています。

長屋王邸跡の解説板
しかし、怨霊自体は「私は〇〇の怨霊じゃ」と言って出現するわけではなく、複数の出来事から「ひょっとしたら〇〇の祟りじゃないの?」と思う人が増え、ようやく社会的に怨霊として認定されるのです。または、陰陽師や僧侶などが「これは〇〇の怨霊です」と言う場合もあります。どちらにしても、生きている人が、その正体を決めるのです。決して怨霊が名乗り出るわけではありません。
この長屋王の一件から「失脚した政治家や皇族が怨霊になる」という見方が定着し、日本を代表する怨霊、菅原道真や崇徳院、平将門の登場となっていくのです。
文・写真提供

竹林 賢三

TAKEBAYASHI KENZO

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