と、ここまでは日本の正史である『続日本記』に書かれていて、続く天平10年(738)の項目には「東人は長屋王のことを、事実を偽って告発した人」として斬り殺されたことも書かれています。ですから、その頃には長屋王の無実は世間に広まっていたのでしょう。それもそのはず、その少し前に長屋王は怨霊と人々に認識され、都を襲っているのですから。天平9年(737)に都で疫病が流行り、藤原四兄弟が4人とも命を落とします。聖武天皇は神仏の加護を求めて祈りますが効果はなく、長屋王の子女たちの地位を上げるなど、怨霊の怒りを鎮めるような措置を講じています。