新日本妖怪紀行 第93回|八百屋お七伝説をめぐって(大和高田市) 新日本妖怪紀行 2023.3.24 みょ 八百屋お七伝説のある「常光寺」(大和高田市) 《連載》 新日本妖怪紀行|第93回 「八百屋お七伝説をめぐって」 大和高田市旭北町「常光寺」 東京都文京区白山「圓乗寺」 今回で93回目、実に7年と7か月続いた連載でしたが、今号で最終回となります。長らくお読みいただきました皆様、本当にありがとうございました。 最終回は多くの人が文学や歌舞伎、映画などでご存じの『八百屋お七』をテーマに書きます。えっ、八百屋お七って江戸(東京)の話じゃないのって思われるかも知れませんが、大和高田にも伝説があります。さっそく始めましょう。 『八百屋お七』の言い伝えは諸説ありすぎて「これが真実です」とは言い難いのですが、まず、おおまかな内容をご紹介します。 天和2年(1682)12月28日、江戸駒込の大圓寺から起こった火事は3千5百人もの死者を出しました。この火事で本郷にあったお七の家(八百屋)も焼け出され、圓乗寺というお寺(諸説あり)に避難しました。 そこでお七は、寺の小姓(これも諸説あり)吉三郎(これまた諸説あり)という若い男に恋をしました。それから少しやりとりがありますが割愛して、お七は「また火事が起こったら、あの人に会える」と思い、自宅に火をつけてしまいます。火の勢いに、お七自身が驚いて半鐘を鳴らす場面は芝居や浮世絵で有名ですね。おかげで火事はボヤですみますが、放火は大罪でお七は死罪となり、引き回しのうえ、火あぶりとなったのです。 『好色五人女』のモデル 大和高田市の常光寺の案内板に、こうあります。 「井原西鶴の『好色五人女』で知られる『八百屋お七』のモデルになったと言われる〈志ち〉の墓があり(中略)西鶴が伊勢に向かう途中、当地に宿泊した際にこの逸話を聞き、それをモデルに書き上げたのが、お七の物語であるという」 現地のすぐ隣が本郷町で、江戸の舞台になった場所も本郷という地名です。でも、本物さがしは野暮なことです。その地域に伝承が生まれた背景や文化に注目することの方が重要なのです。 お七のことが書かれた常光寺の案内板 日本初の視聴者参加番組 お七の墓として一般に知られているのは東京の文京区にある圓乗寺です。僕はここで昭和23年(1948)に起こったお七の幽霊騒動に興味をひかれます。 圓乗寺にある「八百屋お七墓所」の石碑 当時は今よりお寺の敷地が広く、その中に印刷所もありました。そこに夜の10時を過ぎると下駄の音がぐるぐる工場内を回るのです。すぐそばにお七の墓があることから、お七の下駄ということになり、その噂は広まって柔道2段の巡査が確かめに来たところ、懐中電灯をつけると音がやみ、消すとまた始まるのです。これを新聞が報じ、NHKラジオが聞きつけ、特別番組を組んで、幽霊の足音を放送しようということになりました。 当日、夜8時頃から準備し、足音を聞いた人たちの座談会などを収録しながら、10時から今か今かと待ちましたが、結局お七さんは現れず、午前1時に撤収したということです。 興味をひくのは現場に一般の方々もつめかけていて、日本初の視聴者参加番組だったということです。日本初がお七ちゃんの幽霊番組なのですから、おもしろいですね。 圓乗寺の「八百屋於七地蔵尊」(東京都) 日常を楽しく、心を豊かに さて、毎回日本の伝説や妖怪話を見てきましたが、そこには日本人の思慮深さや人を思いやる気持ちが反映されていると思うのです。 皆さんも身近なお寺や神社や石碑にまつわるお話を探っていくと楽しいですよ。そのようにして地元のことがわかってくると、暮らしに「厚み」が出て、心も豊かになるでしょう。私も、もっと様々な伝説に出合って、思考と試行を重ねていきたいと思います。 文・写真提供 竹林 賢三 TAKEBAYASHI KENZO YouTubeにて「日本妖怪研究所チャンネル」配信中!