〈奈良市〉「新興の奈良絵」を令和に復興、後世に伝えたい(「なら絵」作家由美 さん)

ギャラリー藤影堂で絵を描いていただいた。普段は自宅のアトリエで描く

《連載》自然と暮らす vol.157

「なら絵」作家/由美 さん

「新興の奈良絵」を令和に復興、後世に伝えたい

奈良絵というと、赤膚焼の茶碗などに描かれた絵を思い起こす人が多いだろう。元々は室町末期から江戸初期にかけて、絵巻物の挿絵などに描かれたのが最初のようだ。東大寺大仏殿の連弁に描かれている絵がモチーフになっているともいわれる。焼き物に用いるようになったのは、江戸後期、赤膚焼の名工・奥田木白による。
鹿だけのなら絵
手前が左近の原画の一部。奥の屏風絵が左近の元画のもとに制作したもの
その奈良絵とは全く違う「奈良絵」に魂を吹き込もうとしている女性がいる。奈良市在住の由美さん。由美さんが手がけているのは、大正頃から昭和初年にかけて、新興の奈良絵と呼ばれたもの。奈良人形師の谷沢是楽が左近と名乗って制作したものだ。前者の奈良絵と違って、神官や貴族、童、女官や風景が楽しそうに描かれている。
由美さんは、5年かけてやっと左近の奈良絵を創意発展させた作品を完成させ、4月に奈良市のギャラリー藤影堂で個展を開催、初披露して好評を博した。
由美さんが左近の奈良絵に出合ったのは6年前。元春日大社権宮司で奈良県立大学客員教授の岡本彰夫さんから、左近が当時描いた原画10枚を見せられ、その筆づかいに衝撃を受けた。「なんて伸びやかで生き生きした絵なんだろう」と。岡本さんから左近の絵がほとんど世に知られていないので、この奈良絵を復興してみないかと声をかけられ、思わず「やります」と即答した。
だが由美さんは日本画は未経験。油絵と水彩画は子ども時代から続けていて、美術大学を出てからも他の仕事に就きながらずっと続けてきた。「それでもどうしてもやりたかったので、独学で勉強することにしました」と由美さん。
絵葉書5種も作って販売。とても好評だった
日本画は水干絵具を膠で溶いて使う。絵の具を定着させるためだ。だがその量により絵の具の伸び具合が変わってくる。「まったくわからないので、中学時代の美術の先生に聞きにいくなど、すべて手探りでした」
でも日本画を学びに行こうとはしなかった。「左近さんは元々奈良人形の一刀彫作家で、お小遣い稼ぎのため一刀彫の絵の具で新興の奈良絵と称した絵を描いて、お土産物として売っていたようです。だから、いろいろ日本画のルールに当てはまらないこともあるかもしれない。私は日本画ではなく左近さんの絵を描きたかったので、あくまで独自の方法を貫こうと決めました」
紙粘土で作ったシカは実際に奈良公園に生息する数と同じ1286頭。個展に来てくれた人たちに1頭ずつ持ち帰ってもらっており、今もギャラリー藤影堂に飾られている。直径は1〜2cm
左近は一刀彫作家ゆえ、絵は至ってシンプルで一筆書きが特徴。特に筆の流れが魅力だという。筆づかいを何度も何度も線を引くところからまねてみた。
最初は岡本さん所有の左近の原画を写真に撮ってまねていたが、偶然夫が古道具屋で8枚の原画を見つけてきて、今度はそれがお手本になった。顔の形だけ、服の形だけ毎日毎日何百個も描いていく。「左近さんのものを忠実に再現している時感じたことは、いらないものをそぎ落としていった絵だなと。筆の入っていない、いわゆる描かれていないところまで想像できるほどうまく表現されています」
なので、一筆書きなのに立体的に感じるとも。由美さんは、絵を完成させた後、本当に紙粘土の人形で絵を立体化させ、お客さんを驚かせた。
ギャラリー藤影堂
その楽しさをもっと膨らませて、元絵を基に、奈良の絵らしく鹿を入れたり飛天に手を加えたりと、由美さんなりの独自性を出して、このたび元絵をモチーフにした10枚を完成させた。他に鹿だけのものや、南都八景を描いたオリジナルなど合計約50点を個展でお披露目した。 「今回の個展の目的は、本物の左近の絵を一人でも多くの人に見てもらいたいということと、私一人で頑張っても後に遺すことができないから、左近さんの絵からヒントを得て、どなたかが別の物を感じて別の作品を作っていただけたらうれしいと思って」と由美さん。
早くも後世のことを考えつつ、自身もさらに奈良らしいオリジナルの絵を制作していきたいと意気込む。大正時代の絵が令和に蘇り、左近もさぞや喜んでいるに違いない。

Profile

本名/寺岡由美

YUMI

1964年生まれ、56歳。香芝市で育ち、嵯峨美術短期大学油絵学科を卒業。結婚後夫の仕事で他府県に移り住んだが、10年前に奈良に戻る。5年前から左近の奈良絵の復興を試みる。
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