第26回

金春康之演能会 能「西行桜」

――花見客の喧騒を嫌う西行法師の夢中に白髪の老翁として現れた桜の精が春の夜に見せる老体の舞・・・
  その閑かで美しい舞こそ世阿弥が後世に遺そうとした老いの美なのでしょう――

能《西行桜》について
「西行の能」について、『申楽談儀』に、「西行・阿古屋の松、大かた似たる能也。後の世、かかる能書く者や有まじきと覚えて、此二番は書き置く也」と述べられ、また「西行の能、後はそと有。昔のかゝり也」とも述べられています。世阿弥は自分の芸術世界を遺そうというはっきりした意図をもって、後半がひっそりとした能を書いたと言うのです。確かに、花見客が花のもとで眠りにつくていで舞台から去ると、ひっそりとして美しい世界がはじまります。花のもとで眠る西行の夢の中に老翁姿の桜の精が現れて、京の花の名所をたたえ、春の夜が明けてゆくまで美しい舞を舞います。『風姿花伝』には、老体の舞について、「花なくば面白き所あるまじ。……老いぼればとて、腰・膝をかゞめ、身をつむれば、花失せて、古様に見ゆるなり。さる程に、面白き所稀なり。……たゞ老木に花の咲かんがごとし」と書かれています。老体の能は老体の「美しさ」を体現しなければなりません。しかも桜の精であれば、弱々と風に漂い、ひたすら極楽往生を願う《遊行柳》の老翁とは違う、華やいだ美しさが求められるように思われます。

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