明治28年(1895)内務省は、日米修好通商条約(1858)で是認した領事裁判権の撤廃のために求められた、司法制度と監獄の近代化を目指すためにレンガ造の東京府巣鴨監獄を建設。明治32年(1899)に改正条約が発効し領事裁判権の撤廃が実現すると、内務省は第一期監獄改築計画を決定しました。この時計画された五大監獄※の一つが奈良監獄です。
奈良監獄は明治41年(1908)に竣工しました。近代建築の父・辰野金吾のもとで建築を学んだ山下啓次郎の設計で、中核となるレンガ造の建物群は中世ヨーロッパの城郭建築にみられるロマネスク様式を基調としています。イギリス積み※で積まれたレンガは、刑務作業の一環として受刑者が職人と共に監獄内で製造したレンガが多数使用されています。
内部構造は庁舎(看守所)を中心に5棟の舎房を放射状に配置した「ハビランド・システム※」が採用されました。このシステムにより、全て舎房のを一望でき、少ない職員で効率的に管理することが可能となりました。
また五大監獄の中で唯一刑務所として現存しており、奈良刑務所(1922~46)・奈良少年刑務所(1946~2016)と名称・役割を変えながら108年間稼働しました。翌年には創建当初の建造物が重要文化財に指定されています。現在は耐震化工事で一般公開されていませんが、今後は資料館とホテルに生まれ変わる予定です(2023年開業予定)。