〈明日香村〉なぜ?里山の元診療所横に2つの機雷

旧阪合診療所横の廃機雷

近鉄飛鳥駅から徒歩10分、旧阪合診療所の北側に建つ忠魂碑の前には2個の廃機雷があります。忠魂碑が建てられた昭和3年(1928)は昭和天皇即位の奉祝事業が各地で行われており、忠魂碑も旧阪合村の御大典事業の一環で建てられ、機雷もその時に来たようです。

阪合村は山に囲まれている関係上、海軍思想に乏しく、海防への理解が乏しいため、その普及理解を計る目的で海軍へ機雷と12cm砲弾の下付を希望したそう。

8月に下付願いが出され、陸軍省から呉鎮守府長官へ訓令が出たのは11月。呉海軍軍需部保管の廃品の浮標水雷缶2個が忠魂碑備付品として下付されました。

旧阪合診療所。左の茂みに忠魂碑がある。

機雷の大きさは1mちょっと。錆び付いてますが、鋲ひとつひとつまで綺麗に残っています。こんなものが海に浮かんでいて、当たれば爆ぜるなんて怖すぎます…。

ちなみに、忠魂碑の字を揮毫した一戸兵衛陸軍大将は弘前藩出身の軍人。西南戦争、日清・日露戦争に従軍し、日露戦争では旅順攻略戦で堡塁奪取の戦功をあげています。