近江国小谷城主・浅井長政の遺子で、仏門に入っていた慶誉了把が開基といわれる浄土宗の寺院。元は長福寺という名前でしたが享保年間(1716~1736)に普光院に改めたとされます。
ご住職によると、本堂は慶長5年(1600)頃の建立で多少の増築は見られるものの、ほぼ創建当時のまま残っているそう。二重に重なる寄棟屋根は「錣屋根(しころやね)」と呼ばれるもの。兜の錣(左右や後ろに垂れて首を覆っている部分)のように見えることからその名が付いたそうです。
康永4年(1345)の墨書がある本尊の木造地蔵菩薩立像(南北朝時代、県有文)は鎌倉時代の仏師・運慶一派の様式を踏襲しているのが特徴です。