飛鳥宮跡の遺構はⅠ期・Ⅱ期・Ⅲ期の3期に分類されます。Ⅰ期は飛鳥岡本宮(舒明/630年~636年)、Ⅱ期は飛鳥板蓋宮(皇極・斉明/643年~645年、655年)、Ⅲ期は後飛鳥岡本宮(斉明・天武/656年~660年)と飛鳥浄御原宮(天武・持統/672年~694年)だと推定されており、出土遺物などからⅢ期の宮跡は確実視されています。
飛鳥時代までは天皇一代ごとに宮の場所を遷していましたが、飛鳥宮は複数の天皇が代々宮を置く、または飛鳥地域内の別の地に遷宮したことで、周辺施設とともに拡大し宮都としての機能をあわせもっていきました。これは後の藤原京や平城京などのような、計画的に固定化された宮都への過渡的な都市であったのではないかと考えられています。