【葛城市】金村神社

●かなむらじんじゃ

どんな神社?

社伝によると、安閑天皇2年(535?)11月12日に大伴金村の御霊を勧請したと言われています。現在は鳥居に小さな祠が3つ安置されているだけですが、延喜式神名帳では大社に列し、月次祭・新嘗祭の幣帛にあずかる神社でした。大正4年(1915)の神社明細帳には、往古は数十か村の氏神として崇敬され、境界も八丁(約800m)四方に及んでいたとあり、とても広大な神社であったことが伝わっています。

しかし、祭神の大伴金村は安閑2年の頃はまだ存命していて御霊を勧請したとは考えられにくく、地名など何らかの偶然で「金村」という文字が被ったのではないかと考えられています。

大伴金村とは

古墳時代の豪族・大伴氏の出身。大臣の平群真鳥・鮪(しび)親子を殺害し、第25代武烈天皇を擁立、自ら大連となりました。武烈崩御後は越前国から第26代継体天皇を朝廷に迎え入れ、その下で軍事や朝鮮外交の指揮を執ったとされています。しかし、第29代欽明天皇の時代になると天皇と血縁関係を結んだ蘇我稲目が台頭。また物部御輿らから外交政策の失敗を糾弾され失脚することとなりました。

基本情報 Basic Information
金村神社/かなむらじんじゃ
  • 住所: 葛城市大屋213