【宇陀市】墨坂神社

●すみさかじんじゃ

疫病封じの伝説が残る神社

戦前には神武聖蹟として賑わった墨坂神社は、『古事記』『日本書紀』の神武・崇神・雄略・天武各天皇の条に名前がのこる古代の神社。このことから大和政権成立とともに国家的役割を担い、立派な社殿や社地に整備されたと考えられています。

『万葉集』には神武東征のおり、すでに祭祀されていた、天御中主・高皇産霊・神皇産霊・伊邪那岐・伊邪那美、大物主の六柱の神を総称して、「墨坂大神」あるいは「墨坂神」とする、との記録が残ります。

『日本書紀』崇神天皇9年の条には、国中に疫病が蔓延し悩んでいた時、ある夜の夢に神人が現われ、「赤盾八枚赤矛八竿をもって墨坂の神を祀り、黒盾八枚黒矛八竿をもって大坂の神を祀れ」と告げられ、天皇がそのとおりに祀ると直ちに疫病は平癒し、天下泰平となったとあります。

「墨坂の神」が現在の墨坂神社の祭神で、「大坂の神」は大坂山口神社(香芝市逢坂)の祭神とされています。

基本情報 Basic Information
墨坂神社/すみさかじんじゃ