《連載》
新日本妖怪紀行|第22回
妖怪として伝説に残る先住民
高天彦神社と蜘蛛窟
『古事記』や『日本書記』、各地方の伝説に登場する妖怪に、土蜘蛛がいます。でも家で見かけるような節足動物の蜘蛛に、土蜘蛛という種類は存在しません。また蜘蛛という妖怪もあまり聞いたことがありません。蜘蛛の妖怪には女郎蜘蛛など、蜘蛛に何かの特徴をプラスしたものが多いようです。では蜘蛛に、なぜ土をプラスしたのでしょう。今回は他のキャラクター的妖怪と、ちょっと違った土蜘蛛についてお話しましょう。
手足の長い、穴にこもる種族
妖怪の定義として「人を妖怪のように見たもの」というのがあり、人間を鬼や悪魔や化け物のように扱い、妖怪化させたものを言います。その中に権力に従わない、刃向かう人々を権力者側から見て鬼や妖怪になぞらえたものがあり、土蜘蛛はその代表格と言えるでしょう。
奈良にはいくつかの土蜘蛛塚(墓)があります。今回は御所市にある高天彦神社に行ってきました。社殿に向かって左横に土蜘蛛塚はありましたが、現地に案内板も何もないので予備知識のない方は「何の石?」と思われるかもしれません。先ほど書きましたように、土蜘蛛は人を妖怪のように見たものです。つまり、従わぬ先住民を権力者側から見て蜘蛛の妖怪になぞらえ、倒して葬った跡が土蜘蛛塚なのです。
過去の文献に共通する土蜘蛛族の特徴は、手足が長く、住み処は岩穴や洞窟です。奈良以外にも権力者によって一族が壊滅させられた物語が、陸奥や豊後、備前などの風土記にあります。
つまり、日本各地にいた穴にこもった先住民を見て、その特徴や習性から「土隠」と呼び、そこから土蜘蛛となり、さげすまれたものと思われます。
朝廷に滅ぼされた人々の住み処
高天彦神社の前の細い道を行くと、丘の中に「蜘蛛窟」と彫られた石碑があります。ここに土蜘蛛族が住んでいたと、現地の説明書きにありました。そこは、神武天皇との戦いに敗れた先住民(土蜘蛛)の住み処だったので蜘蛛窟と呼ばれているのです。
なんとなく悲しい歴史が横たわっているような場所ですが、高天彦神社周辺はとにかく空気感が違います。それもそのはず『古事記』などで神々の住まう高天原と呼ばれた場所が、この付近なのです(諸説あり)。神社の後ろには御神体である山、白雲峯がそびえ立ち、本当に神を感じる気がします。また同じ御所市にある葛城一言主神社にも蜘蛛塚があります。これは神武天皇が土蜘蛛の怨念が復活しないように埋めた跡と言われています。
無念の想いを晴らすため
『平家物語』には、源頼光を苦しめる土蜘蛛が登場します。源頼光とは、大江山の鬼、酒呑童子を退治したことでも知られる豪傑です。頼光が病で床にふせっていると、空より変化のものが現れ、縄を放って頼光をからめとろうとします。頼光が名刀「膝丸」で切りつけると、血の跡を転々と残して逃げて行きます。
次の日、血の跡をたどると北野の塚穴へとつづいており、そこを掘ってみると大きな蜘蛛が絶命していました。それは後に、神武天皇がほろぼした土蜘蛛族の怨霊と言われました。今でも上京区の北野東向観音寺の境内に土蜘蛛塚があります。
大江山の酒呑童子も権力に刃向かう鬼でした。その意味からも頼光がねらわれたのかもしれません。この事件の後、名刀「膝丸」を「蜘蛛切」と改めました。
土蜘蛛塚を見ると、朝廷に住み処を追われて討ち死にした人々の、無念の想いが伝わってくるような気がします。「かわいそう」と言っても、これは妖怪という化け物が成立するひとつの側面であって、避けて通れない大きな特徴でもあるのです。
月岡芳年 画「源頼光土蜘蛛を切る図」新形三十六怪撰より
*掲載内容は2017年5月に取材したものです
