超人につかえる夫婦の鬼、前鬼後鬼

前鬼。鉄オノをふるう赤鬼(大峯山龍泉寺本堂前)

《連載》
新日本妖怪紀行|第32回

超人につかえる夫婦の鬼、
前鬼後鬼

修験道の開祖として知られる役小角えんのおづぬ役行者えんのぎょうじゃ。その像を見たことのある人はお気づきと思いますが、小角の左右に鬼がひかえている像が多く、それぞれに前鬼ぜんき後鬼ごきと名前がついています。役小角につかえる夫婦の鬼と言われていて、まるで安倍晴明の式神のような、バビル2世のロデムとロプロスのような存在(かな?)。
今回はそんな役小角の家来、前鬼後鬼のお話です。

鬼が改心して家来に

大阪から奈良へと向かう生駒山を通るルートのひとつに、ものすごく急勾配の峠があって、それが昼なお暗いと言われた暗峠くらがりとうげです。馬のくらがそり返るほどの坂道だから「くらが(え)り」という説もあります。その峠の途中に鬼取おにとりという集落があって、その名のとおり役小角が前鬼後鬼を家来にした所です(大阪府東大阪市東豊浦町)。また、そこは髪切山かみきりやま(仏教用語で「こきり」とも読みます)と呼ばれて、2体の鬼が改心して髪を切った場所と言われています。まさに伝説を裏付けるような地名ですね。
この2体の鬼は、もともと山賊のように悪さをしていたらしく、伝説では孔雀明王くじゃくみょうおうが小角の夢枕に立って、「大和国生駒山に2匹の鬼がいる。汝に授ける秘法のうち不動明王の法をもって鬼を捕らえよ」と言われました。それで小角は生駒に行きましたが鬼を見つけることができず、21日間、山にこもって修行をすると、ようやく2匹の鬼が現れ、小角が不動緊縛きんばくの法で鬼の体をしびれさせて捕らえたのです。その名は前鬼義覚ぎかく後鬼義賢ぎげんと言い、名は小角がつけたと言われています。
役小角像(大峯山龍泉寺本堂内)

前鬼は赤、後鬼は青

前鬼後鬼の特徴をご紹介します。まず前鬼は赤鬼鉄の赤いオノを持ち、その名のごとく役小角の前を歩いて山などを切り開きます。小角が天に昇った後、奈良県吉野郡下北山村に前鬼後鬼の間に生まれた5人の子どもとそこに住み、子どもたちはそれぞれに修験者のための宿坊を開きました。5軒のうち1軒だけですが、現在でも子孫が営む宿坊があります。

後鬼は青鬼で、霊力がある理水が入った水がめを持ち、奈良県吉野郡天川村出身、またはそこで暮らしたと言われています。天川村の洞川どろがわ温泉は後鬼の湯としても有名で、手前みそですが、私の会社で「オズくん」というキャラクターを作らせていただきました。そのとき前鬼後鬼も作りましたので、大峯山洞川温泉観光協会のホームページ、ポスターなどでご覧になった方もいらっしゃるかも知れません。
また、役小角が作り方を教えたという妙薬陀羅尼助だらにすけは洞川で製法し、全国で愛用されています。
ですので前鬼後鬼は伝説とはいえ、そのような人物が確かにいたのだろうと思います。
左から前鬼、オズくん、後鬼。オズくんは役小角の末裔という設定
(キャラクターデザイン:なんばきび)

天狗と言われた前鬼後鬼

また、役小角も前鬼後鬼も「天狗」と言われることが多く、『役行者御伝記』(明治41年刊)の中に「鬼神天狗を集める」という話があり、役行者は前鬼後鬼に命じて、鞍馬山僧正坊、愛宕山太郎坊をはじめ、そうそうたる天狗たちを集結させています。この本自体は俗書のうちで史実ではありませんが、彼等を天狗ととらえる人は多いのです。知切光蔵の作った「日本大天狗番付」でも役小角は行司前鬼後鬼は張出横綱で、他の天狗と別格扱いになっています。

下北山村にしろ洞川にしろ前鬼後鬼ゆかりの地であり、その子孫が今も、役小角が修行した山を守っていらっしゃいます。つまり今でも前鬼後鬼は、役小角につかえているということなのですね。
後鬼。水がめを持つ青鬼(大峯山龍泉寺本堂前)
文・写真提供

竹林 賢三

TAKEBAYASHI KENZO

*掲載内容は2018年03月に取材したものです
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