〈宇陀市〉極寒・酷暑の高所で草屋根を葺き続けて40余年(茅葺 隅田)

《連載》自然と暮らす vol.161

茅葺 隅田 代表/隅田 茂さん・前子さん

極寒・酷暑の高所で 草屋根を葺き続けて40余年

猛暑が続く8月上旬の炎天下、奈良市東部の茗荷町で古民家の草屋根の葺き替えをしている二人の姿があった。茅葺職人の隅田茂氏とその〝手伝い(てったい)〟で妻の前子さんだ。
現場は、江戸時代(文久33・1863年)築の庄屋屋敷で明治初期から昭和32年まで郵便取扱所だった松本邸(奈良市指定文化財/田原やま里博物館)。茅葺大和棟の威風堂々たる主屋の屋根だ。約30年ごとに葺き替えられ、今も住居として使われているので丸裸にして葺き替えるわけにはいかない。作業後は毎回、風雨に備えての養生が必要だ。

松本邸befor

足場

古茅が降ろされた下地

生まれ育った家なのと、この家にはやっぱり茅葺が似合いますので、できる限り現状保存できればと思います。

松本陽一氏

6月半ば、梅雨空とにらめっこしながら二人で足場を組み、一段ずつ古い茅を取り除いては屋根の下地を補修・補強し、新しい茅(ススキ)と葦を葺いては結束(下地に括り付ける)、軒や妻の端をそろえる作業を繰り返し、軒から約三分の一(12分の4段)のところまできた。
長雨に泣いた後は、いきなりの猛暑、容赦ない日差しと葦の照り返しにさらされた体は、冷水シャワー後も夜中まで熱がこもったまま、1日3㍑もの水分が欠かせないという。そんな過酷な状況だが、施主さんの「いい屋根を葺いてくださった」のひとこと聞きたさに黙々と汗を流す。

自宅の保管所からその日使う量を運んでくる

1束約5kgもある葦束を軽々と…

茂さんの指示通りの寸法にカット
軒や妻の仕上がりが職人技の見せどころ
茂さんが生まれ育ったのは、宇陀市の東吉野村に近い大熊地区。高度成長期前までは草葺き屋根の家も多く、同地区に何人もの茅葺職人がいたという。父・隆蔵氏は、その叔父にあたる職人さんの下で技術を身に着けこの道に入った。数々の仕事をこなし後進の育成にも力を注ぎ、日本でただ一人の文化庁選定保存技術「茅葺」保持者とされ、96歳の今も現役。「屋根の上で死ねたら本望」が口癖なぐらい、この仕事が好きなのだそうだ。
そんな父親の背中を見て育ったが、中学ぐらいまでは跡を継ぐことを意識しなかったという。思いが変わったのは高校生の時。春休みや夏休みに父親の現場で手伝い、「親父も年いってきたら継がんならんかなぁ」と思い、卒業後、見習いとして入門、父親や他の職人さんの〝手伝い〟で経験を積んだ。
作業道具 左から、S字状針(一人作業の時に使う)、針(1m近い大針 針孔に針金を通して茅束を下地に固定する)、鎌(古茅はがしの鎌)、はさみ(茅のカット用)、たたき(軒や角をたたいて整える道具)、隅田さんが丸1日がかりで作った手製「昔ながらのたたき」(右から2番目)
隆蔵さんは昔の職人気質の人で「仕事は見て盗め」が持論。見よう見まねで屋根ふきの基本を手に覚えさせていった。「屋根上の足場づくり、結束、茅たたき、作業の一つひとつは単純なんですが、一段階一か所でも手を抜くと仕上がり全体に影響してきます」
31歳で職人として独立、「茅葺 隅田」を名乗った。以来30年、全国各地の茅葺き仕事に関わってきた。ここ数年では、奈良県立民俗博物館(大和郡山市)、大塔村歴史民俗資料館、樋ノ谷遺跡(三重県大紀町)の竪穴住居など、史跡や文化財を中心に古民家などの屋根を葺き替えた。松本邸の後は、吉野郡で重文の建築物が待っている。
茅葺屋根は断熱性・保温性・通気性・吸音性などに優れ、不要になった茅はすべて肥料となり、金属や新建材のように廃材が出ない点でもエコ住宅だが、火災には無防備なのが弱点だ。ただ、その茅も入手が困難になってきた。近隣で育て刈り取る人が激減、周知の曽爾高原も観光用になり、隅田さんは、茅は御杖村の山を借りて自家栽培、葦は青森県から取り寄せるので、運搬費が高くつく。材料費の高騰で民家は茅葺から経費が抑えられる金属屋根が多くなるという負の連鎖が続く。

昨年から今年にかけての仕事例

曽爾高原温泉「お亀の湯」の表門/父・隆蔵さんの手で2021年春に葺き替え
樋ノ谷遺跡の竪穴住居
奈良県立民俗博物館の民家集落
ただ、この7年仕事がやりやすくなったことがある。それは子育てを終えて本格的に〝手伝い〟となった妻の前子さんだ。補助作業職人との相性は、仕事の出来栄えに大きく影響する。「身内のほうが気を使わないので指示が伝わりやすい」と茂さんが言えば、「ずっと一緒なので次に何をどうしてほしいか大体わかる」と前子さん。ママさんバレーをやっていた彼女は、体力もあり身のこなしも機敏で、夫のよき相棒だ。まさに阿吽の呼吸で茅が葺き替えられていく。

Profile

隅田 茂・前子

SUMIDA SHIGERU & CHIKAKO

1959年宇陀市生まれ、高校卒業後、父で文化庁選定保存技術「茅葺」保持者・隅田隆蔵氏の後を継ぐため、茅葺職人の見習いとなり、父親の下で〝手伝い〟10数年を経て31歳で独立、「茅葺隅田」を名乗る。奈良県をはじめ近隣府県の史跡や文化財を中心に茅葺屋根の葺き替えに携わる。

茅葺 隅田

TEL・FAX 0745-83-2870
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