〈山添村〉地域に愛された、全国屈指の弓道人/『奈良県弓道連盟』名誉会長 𠮷本 清信さん

日本最古の武道「弓道」のスペシャリスト

日本最古の武道と伝わる弓道。和弓を使って28m先にある的に矢を中(あ)てる、その一連の所作を通じて心身を鍛える武道です。

28m先から狙う的は直径36㎝の『霞的(かすみまと)』が一般的に使われる

その最高峰の競技会とされるのが毎年9月に行われる全日本弓道選手権大会。予選を採点制、決勝を10射による的中制として、心技体に適った最高の射手を決めます。

この大会に18回出場し、優勝2回、最高得点賞8回と輝かしい成績を残したのが𠮷本清信さんです。

全日本優勝者に授与される扇。扇面には「射法訓」が記されています

𠮷本さんは奈良県大和郡山市に生まれ、県立奈良高校弓道部に入部。東北大学医学部を卒業するまで学生弓道選手として活躍しました。

大学在学中にも七大学戦に1年生の頃から出場。在籍6年間で団体優勝5回、個人優勝2回の成績を残しています。

医師として働きながら弓を引く日々

大学卒業後は岩手県沢内村(現・西和賀町)の沢内病院、奈良県山添村の国保東山診療所に赴任し、2009年の定年退職まで地域医療に携わりました。

きっかけは中学時代、アフリカでの医療活動に生涯を捧げ、ノーベル平和賞を受賞したアルベルト・シュヴァイツァーの生き方に憧れたからだったそう。

山添村の布目弓道場。春は矢道にシバザクラが咲きます!

沢内村では、同村の体育協会や教育委員会が中心となって医師住宅の裏に廃校舎の材料で弓道場を設置。

山添村でも𠮷本さんの活躍に感銘を受けた地元の名士・中窪英明さんが、地域活性化と弓道を通じた子どもたちの成長を願ってと、診療所近くに道場が建てられました。

地域の支えで授かった“九段・範士”

こうした地域住民の支えがあって、医師をしながら弓を続けることができた𠮷本さん。

「はじめは自分が地域づくりをしようと思って赴任しましたが、気づけば私の方が地域の人たちに支えられていましたね」と、今も感謝の思いが尽きないといいます。

跪座(きざ)の姿勢ひとつとっても美しい…

その結果、2000年に最高位である「範士」に、2011年には九段に昇格しました。範士・九段ともに全日本弓道連盟の審議委員の推薦によってのみ授与されるすごい称号です。

その後は奈良県弓道連盟会長(’02~’14)、全日本弓道連盟副会長(’10~’15)も務めあげ、2016年には旭日双光章も受章されました。

余生は村の小さな道場で

退職後は、父から継いだ寺の住職を勤めながら週に2回、山添村の道場に弓の指導へ。布目ダムの湖畔の小さな道場は故人となった名士の名から『英明館』と名付けられました。

「広い道場も良いけれど、私はこれくらいのこぢんまりとした道場が好きです」

この日は前後半に分かれての練習。𠮷本さんは上座から練習を見守ります

道場には、𠮷本さんを慕い村内外から多くの射手が教えを乞いにやってきます。

教え子は「肩書きを見れば偉大で畏れ多い方。でも長く一緒に練習していると、研究熱心で心から弓道が好きなんだと伝わってきます」と話します。

最大5方向から射形と矢所を映像で記録。感覚が新鮮なうちに振り返りができます。

練習の締めに一手(2本)を引く。年を重ね弓手(左手)が震えるようになったと話していましたが、全く無駄のない流れるような動き。洗練された隙のない射でした。

「2週間ぶりだけど中って良かった」と柔らかな笑みをこぼしていました。

𠮷本さんの射。縦の軸線と横(肩)の軸線が真っすぐで無駄な動きがありません。シンプルな動作ほどなかなか難しいものです。弓道経験者の私も憧れていました♪

𠮷本さんにとっての理想の弓道とは

「的中を求める世界もあれば所作を極める世界もあります。選手の立場と審査員の立場でみる弓道もまた違います。それぞれに良さはあるけれど、やっぱり楽しむことが一番」

自身が思う理想の弓道について、こう話していた𠮷本さんですが、残念ながら、2022年12月にこの世を去られました。

しかし63年間の弓道人生を生き抜いた九段範士の思いは、次の世代へと受け継がれ、また𠮷本さん自身も天国から後進の成長を見守り、弓道界の発展を願っていることでしょう。

取材日前日は78歳のお誕生日!お茶菓子と苺でお祝いしました♪

Profile

𠮷本清信

YOSHIMOTO KIYONOBU

1944年、大和郡山市生まれ。

岩手県・奈良県で医師を務める傍ら、弓道の選手・指導者として活躍。全日本弓道選手権大会へは18度出場した。

奈良県弓道連盟会長、全日本弓道連盟副会長を歴任し、弓道の発展に貢献。2016年に旭日双光章を受章した。

2022年12月に逝去。享年78。

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