南北朝時代に、吉野に潜幸した後醍醐天皇が、南朝の皇居とした実城寺跡を整備した皇居跡公園。現在は南朝4帝と太平洋戦争戦没者を追悼する南朝妙法殿と南朝4帝の歌碑が建っています。
延元元年(1336)、吉水院(現・吉水神社)を行在所とした後醍醐天皇でしたが、手狭であったことを理由に蔵王堂の西にあった実城寺に遷り皇居と定めました。この時寺号を金輪王寺と改め、以後南朝3代の皇居として利用されました。
江戸時代になると、徳川家康は吉野修験の弾圧を行い寺号を没収。もとの実城寺に戻して幕府直轄の支配下に置きました。明治時代には神仏分離令の影響で廃寺となり、昭和33年(1958)に現在の公園として整備されました。
桜や夕日スポットとしても知られています。