最近、電車に乗って感じるのは、高齢の方がいても、席を譲る人が少なくなったのではないかということ。多くの人がスマートフォンの画面を見つめていて、目の前に立つ人に気づかないこともあるのかもしれない。「譲ってあげてほしいな」と思うこともあるが、相手も疲れているのかもしれないし、体調が悪いのかもしれない。そう考えると横から声をかけるのも少しためらわれる。
先日、奈良から乗った難波行の電車で、外国人の家族を見かけた。アメリカ人だろうか。三十代後半ぐらいのご夫婦とまだ小さな子どもが2人。そこへ日本人の高齢の男性が乗ってこられた。するとお父さんがすっと立ちあがり、笑顔で席を譲った。その自然で迷いのない姿に、はっとさせられた。子どもたちもそのおじいさんににっこり微笑んだ。お父さんの姿を見てきっと何かを感じ取ったことだろう。
思い出すのは、昔メキシコを旅して、公共のバスに乗った時のこと。当時私たち夫婦は40代前半で、高齢には見えないと思うが、現地の若者がさっと立ち上がり、にこやかに「どうぞ」と席を譲ってくれたのだ。外国人の私たちにも分け隔てなく向けられるその優しさに、胸が温かくなったのを覚えている。
一方で、最近は席を譲られても遠慮する人が増えた。「まだそんな年じゃない」と笑って断る人もいれば、以前席を譲ろうとして、「あなたと私はそう年は変わりませんよね」と少し怖い表情で断られ、悲しい気持ちになったこともある。
今ではその気持ちがわかるようになった。友人たちと話をしていても、「席を譲られるような年寄りに見えたのかしら」と冗談交じりに言う人は少なくない。
たかが席を譲る、されど席を譲るということはとても難しい。人の優しさは、送る側にも送られる側にも少しの勇気と謙虚さが要る。けれど、その勇気と謙虚さが世の中を少し温かくしているのだと思う。
そして私は、その勇気を外国の人たちから教えられた気がしている。
よみっこ編集長 朝廣 佳子
