奈良在住、歴史的イケメン在原業平

野原から聞こえる上の句に耳を澄ます業平(「新形三十六怪撰」月岡芳年画より)

《連載》
新日本妖怪紀行|第28回

奈良在住、歴史的イケメン在原業平

今回の主人公は平安初期の歌人、百人一首でおなじみの三十六歌人の一人、在原業平ありわらのなりひらです。美しい容姿と抜群の和歌作りのセンスで、女性にとってもモテました。彼の恋愛話は数多く、日本の歴史上、五本の指に入る超イケメン。同じような存在として小野小町おののこまちがいますが、彼女も美しい容姿と抜群の和歌作りのセンスで、男性にとってもモテました。
では、この似たもの同士にまつわるお話と、在原神社のレポートをお届けします。

秋風の吹くにつけてもあなめあなめ

在原業平は天長2年(825)に生まれ53歳で従四位上しょうしいのじょう右近衛権中将うこんえのごんちゅうじょうとなり、その3年後56歳で亡くなりました。先ほど登場しました小野小町ともども美形で、時代や生年に関係なく日本中で伝説化され、あちこちにロマンスや不思議なエピソードを残しています。

その中のひとつをお話しします。陸奥国むつのくに八十島やそじまという所に業平が泊まった夜のこと。野原から「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ」という、和歌の上の句を吟詠する声がします。業平が周りを探しましたが人影はなく、人の髑髏しゃれこうべが一つころがっているだけでした。
次の日の朝、その髑髏をよく見ると、目の穴からすすきが生えていて、それが風になびくと昨夜の上の句のように聞こえます。これはなんとも不思議なことと近所の人にたずねると、「小野小町がやってきて、ここで命を終えました。この髑髏は小町のものです」と言うのです。それを聞いた業平は悲しくなり、流れる涙をおさえつつ下の句を「小野とはいはじ薄生ひけり」と詠みました。鴨長明かものちょうめい無名抄むみょうしょうにあるお話です。
案内板に、ここが元の在原寺であることが書いてあります

奈良は業平ゆかりの地が多いです

奈良には業平ゆかりの地があちこちにあります。いわゆる「業平道」は、大和国(現在の天理市)の業平邸から、河内国(現在の八尾市)の神立こうだち村の福屋という茶店の娘・梅野の元へ、八百夜も通いつめた道です。彼は本当に女好きなのです。その業平道が通る橋を「業平橋」と言い、生駒郡斑鳩町高安の富雄川に架かっています。
能の『井筒』では、旅の僧が大和国石上やまとのくにいそのかみにある「在原寺」に立ち寄りますが、そこは廃寺となり草がぼうぼうと生え、妻と業平が幼い頃に背比べをした井筒からも薄が伸びています。井筒とは木や石などで四角や丸の形に井戸を囲んだもので、つまり井戸の筒ですね。そこに妻の亡霊が現れ、井筒で幼い頃、業平と遊んだことなどを語ります。また、奈良市法蓮町には在原業平が開基したと言われる不退寺ふたいじがあります。とにかく奈良は、業平が住んでいただけにゆかりの地が多いのです(京都にも住んでいたので京都も多いけどね)。
業平と妻が背くらべをした井筒の井戸

みんなで神社のお掃除しましょ!

それで今回は在原寺のあった場所、現在の「在原神社」に行ってきました。(元は在原寺と業平神社がありましたが、明治初期の廃仏毀釈きしゃくによって寺は廃寺になり、業平神社は在原神社になりました)。能の『井筒』のように荒れ放題とは言いませんが、長い間お掃除をしていないのがちょっと残念でした。案内板には「謡曲の舞台となっている大和国石上の在原寺が当所」と書かれていて、そこにはちゃんと井筒の井戸もあります。でも「井筒」と書いた立て札が折れ、井戸の周りは蜘蛛の巣だらけ。他に「業平河内通いの恋の道 出発の地」という立て札もあり、この「在原」から「河内髙安」までの地名が書いてあって、ここが業平道の出発点であることを示しています。でもこれも破損がはなはだしく、案内板の下に「文化財を守りませう」と書かれた赤文字がさびしく映りました。
在原神社の本殿
文・写真提供

竹林 賢三

TAKEBAYASHI KENZO

*掲載内容は2017年11月に取材したものです
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