
《連載》
新日本妖怪紀行|第27回
伯母峯の猪笹王、神となる
背中一面に熊笹を生やした巨大な猪笹王の伝説は広く知られていて、書店で売られている「妖怪図鑑」のような本にも、猪笹王がイラスト入りで掲載されています。このコーナーには、親友のなんばきびの猪笹王を掲載しました。ごゆっくりご覧ください。
猪笹王は死して後も、一本足の鬼となって人々を恐怖させ、東熊野街道を荒らし回りました。さあ、久しぶりに奈良の大妖怪の登場です。
背に笹ヤブを生やした大猪
川上村と上北山村の境の峠を「伯母峯」と言い、その昔、射場兵庫という侍が、峠の南の天ヶ瀬に住んでいました。兵庫がある日、愛犬と伯母峯で狩りをしていると犬が何を見つけたのか、けたたましく吠えるのです。見ると、大きな熊笹のヤブが土ごと谷を渡って行くではありませんか。その不思議な光景をよく見ると、なんと猪の背中に熊笹が生えているのです。
兵庫は狙いを定めて1発撃ち込みましたが、猪はひるむことなく兵庫と犬にうなりをあげて向かってきます。兵庫は2発、3発と撃ち込んでついに猪を倒しました。
猪笹王、一本足の鬼と化す
話は変わって伯母峯近くの湯の峰温泉に、野武士がやってきました。野武士は主人に「離れ座敷を使わせてくれ。わしが寝ている間は部屋をのぞいてはならんぞ」と言うのです。
主人は約束しましたが、武士のワラジが奇妙な形をしているのに気づき、不審に思いました。それは藤づるで編んであり、形も人の足の形をしていません。となると「部屋をのぞくな」というのも気になり、とうとう夜明けに部屋を少しのぞいたのです。
するとそこにはなんと、背中に熊笹を茂らせた巨大な猪が寝ていました。怪物は「わしは天ヶ瀬の射場兵庫に撃たれた猪笹王の亡霊じゃ。兵庫など取るに足らぬが、やつの鉄砲と猟犬がじゃまだ。なんとかして取り上げてくれ。このままでは浮かばれずに村人に祟るぞ」と告げます。
役人にそのことを話し兵庫に伝えましたが、彼は聞く耳を持ちません。そうするうちに亡霊は一本足の鬼と化し、伯母峯を通る人を取り殺し始めました。それですっかり東熊野街道は通る人もなくさびれてしまったのです。周辺の人や行商人は、かなり困ったことでしょう。
その後、丹誠上人というえらいお坊さんが地蔵尊を勧請し、経文を埋めて猪笹王の亡霊を封じ込めました。ただし、鬼は毎年12月20日の1日だけは許されて自由に歩き回ったということです。その日は「果ての二十日」と言われ厄日とされました。

近年まで続いた祟り?
さて、今回はあまり期待せずに伯母峯に行ってみました。国道169号線の和佐又トンネルの南の入り口の横の道(東熊野街道)に入ると、途中になんと「猪笹王の霊廟」がありました。立派な鳥居に「猪笹王霊神」と書かれた案内板もあり、ご紹介しました猪笹王の伝説が書いてあります。

でも興味をひいたのは、その祟りや災いが「近年まで続いた」と書いてあることです。それでこの霊廟がいつできたのかというと、鳥居に「平成25年」とありました。「そうかあ、4年ほど前まで祟りがあったんだあ」と思いつつ続きを読むと、「猪笹王を恐れ、悪の権化と決めつけることは一方的であることに気づいた里人や有志は、この地に霊魂をお祀りし、鎮魂と共に家内安全、交通安全、商売繁盛、難病平癒、緒願成就を祈願し、霊験灼か成」とあります。
この上北山村の人々は、妖怪や鬼を「悪の権化と決めつけることは一方的である」と思う、心やさしい人たちです。
これでついに猪笹王も鵺や九尾の狐のように、神様の仲間入りを果たしました。家内安全、商売繁盛の神様として、もっとアピールしてほしいところです。せめて、この脇道に入るところに道標がほしいですね。



*掲載内容は2017年10月に取材したものです