お亀が池の大蛇伝説 そこはまるで幽玄の世界

これがお亀が池で、湿原植物の宝庫です。ヨシ、マアザミ、サワヒヨドリなど50種もの草木が自生しています。人が入ると復元が難しいようですので、道から眺めましょう

《連載》
新日本妖怪紀行|第5回

お亀が池の大蛇伝説
そこはまるで幽玄の世界

日本にはアナコンダのような大蛇はいません。でも大蛇の伝説は、不思議なことに全国各地にあります。蛇がかま首を持ち上げて威嚇する姿を見たり、鼠や猫を飲み込む場面や、動物に巻き付いて締め上げる姿を見たら、そら恐ろしいですよね(爬虫はちゅう類ファンの皆様、ごめんなさい)。
そんな姿を見て「もし、自分より大きかったら怖いだろうなあ」って思う気持ちが、きっと蛇を怪談の主役にしたのでしょう。
奈良にも大蛇伝説はいろいろあります。その中でも私の好きな曽爾高原にある、お亀が池の伝説をご紹介しましょう。

妻が子どもを残して山の池へ

奈良県宇陀郡曽爾村そにむら太良路たろじに伝わるお話です。ある雪の日、家の前で一人の女が倒れました。聞くと伊勢の太良村たろむらからやってきたそうです。家に入れて介抱すると女は元気になり、そのまま居続け、その家の男の妻となりました。
女の名は「お亀」と言い、若くて美しく、毎朝、井戸を水鏡のようにして、のぞきながら化粧するのが日課でした。その井戸の水は、村の北にある亀の形をした亀山にある太良路池とつながっています。
ある日、お亀がいつものように井戸をのぞくと、美しい男の顔が映り「今夜八ツ、太良路池に来てほしい」と言うのです。それからというもの、毎朝、濡れて泥のついた草履が脱ぎ捨ててありました。夫は怪しんで、お亀に問いただすと、「毎晩、亀山の太良路池で子どもが授かるように、水ごりをしています」と言います。
そして、ある雨の降る日、お亀は子どもを産みました。するとなんとお亀は「私の役目は終わりましたので、お暇をください」と言って、子どもを残し、さっさと一人で太良路池へと行ってしまったのです。
こんな行灯が点々と続き、別世界へといざないます

お亀が恐ろしい大蛇に変身!

当然、夫は大変困りました。子どもが夜中に大泣きするので、仕方なく、泣く子を抱いて太良路池へ行き、お亀の名を呼びます。すると池の中からお亀が現れ、乳をたくさん飲ませ「もうこれからは来てくださるな」と言い残し、池の中へと帰って行きました。
しかし次の晩も子どもが泣くので、夫はまたもや池に来て、お亀を大声で呼びました。すると池の水がにわかに騒ぎ立ち、お亀が姿を現すと「もう来るなと言ったのに、なぜ来たのか」と言い放ち、大きな蛇の姿となり、大口を開けて襲いかかってきたのです。
夫は子どもを抱え一目散に逃げました。命からがら逃げ帰った夫は、すぐ病気になって死んでしまいます。その大蛇もその後、山火事にって死んだと言われています。でも、子どもは生き残ったようです。また、それまで太良路池と呼ばれていた池は、この後「お亀が池」と呼ばれるようになりました。
濡れ女。お亀の大蛇のイメージは、これが一番近いかな。でも、濡れ女は海にいる妖怪です(鳥山石燕「画図百鬼夜行」より)

霧の中のお亀が池は、実に神秘的

このお亀が池がある曽爾そに高原に行ってきました。池の周辺は一面ススキの原で、まさに幽玄の世界が広がっています。その日は霧が出ていて、前方5メートル先はまったく見えません。そのうえ、木でできた風情ある行灯あんどんが点々と道沿いに連なり、別世界へといざなうようです。話自体はとても奇妙な内容ですが、この話にまつわる地名は現地に残っています。お亀が大蛇になって襲いかかった所は「大口おおぐち」。蛇がかま首をもたげてまっすぐの姿勢で追ってきた所は「立堀たてほり」。大蛇がひと息ついて休んだ所を「弊足びょうそく」。大蛇が水を飲んだ所を「水呑みずのみ」と言うそうです。伝説が地名になるのは楽しいですね。
お亀が池を見ていると、伝説が実話のように思えてきます。霧の向こうに大蛇の口が待っているような、そんな気がするのです。ここは私のお勧めです。ぜひ、一度お訪ねください。私も大蛇に魅入られたのか、また行きたいと思っています。
高原に霧はつきもの。5メートル先はまったく見えません。「お亀が池」は、現地では「お亀池」と呼ばれています
文・写真提供

竹林 賢三

TAKEBAYASHI KENZO

*掲載内容は2015年12月に取材したものです
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