相撲に負けた河童 山奥の秘湯に伝わるガタロのお話

鳥山石燕描く「河童」。「川太郎ともいう」とあります

《連載》
新日本妖怪紀行|第7回

相撲に負けた河童
山奥の秘湯に伝わるガタロのお話

さあいよいよ、誰もが知ってる河童かっぱの登場です。河童の話は全国的に語りつがれ、昔話の定番とも言えるものです。しかも、その特徴、習性ともに似かよったものが多く「河童と言えば頭の皿」「河童と言えばキュウリ」「河童と言えば尻子玉」というように、日本人なら、どの地域の人でも(たぶん)連想できることでしょう。人間にこらしめられて詫び証文を書かされたり、すぐに腕が抜けたりというのもよくあります。河童は妖怪の中でも、とても身近な存在なのです
そこで今回は、これも非常に多い「河童と言えば相撲」の話をしましょう。

ダムに沈んだ温泉が復活!

奈良の吉野や熊野に行くと、あちこちに小さな温泉郷があるのに気づきます。こんなところで温泉宿をやっても人なんて来ないだろうなあ、と思う所が多いのですが、根強い温泉ブームによって秘湯ファンや常連客がやってくるようです。
今回訪れたのは、入之波温泉。大台ヶ原を水源とした大迫おおさこダムから川沿いに、奥地へ2kmほど行ったところにあります。ダムによって温泉も水の底に沈んだのですが、すぐに再度ボーリングして、復活したそうです。本当に小さな山の中のひなびた集落です。
この地方は河童のことをガタロと言います。それは河童のことを川太郎とも言いますから、それがなまってガタロになったものと思います。ここにその昔、ガタロが現れて、こんな話が残りました。
入之波温泉の案内板。入り口付近にあります

相撲に負けて魚を届ける

入之波の里に、いつの頃からかガタロがみつき、人に悪さを始めました。馬を川に引きずり込んだり、子どもの尻子玉(肛門のそばにある想像上の玉)を抜いたりなど、たいへんないたずらものでした。
ある若者が道を歩いていると向こうからガタロが来て、ここで一番、相撲をとろうと言うのです。もともと力自慢の若者は「よし」とばかりに、ガタロと相撲をとって見事に勝ちました。そのときの約束で彼の家に、ザルいっぱいの魚を毎日、ガタロが届けてくれるようになったのです。
でも、ある日見知らぬ女がやってきて、そのザルを捨ててしまいました。それからガタロは魚を持ってこなくなり姿も消しました。当然、ガタロの被害もなくなったということです。
なんとも風情がある入之波温泉のすぐ下の川

水の神様の意地にかけて

この「相撲好き」という河童の特徴は全国的にあって、河童はもともと水の神様だから、神事である相撲で人間に負けるわけにはいかない、という説があり、負けても負けても何度も挑戦してくるのが、よくあるパターンです。場合によっては、たくさんの仲間で向かってくることもあります。
ともかく、この入之波温泉は、一度機会があれば入ってみたい気がしました。白鳳年間(645〜710)に役行者えんのぎょうじゃによって開かれた温泉ということで、もとは塩葉と書いたそうです。
また、ガタロに勝った若者は、川勝様と言われるようになって祀られるようになったらしいのですが、それは発見できませんでした。ひょっとしてダムの底に沈んでいるのかもしれません。今は温泉街と言っても民宿も入れて3軒ほどしかないように思います。
おや、どう見ても観光客らしい男性が数人、温泉宿の方に向かっています。こんな平日でも秘湯ファンはいるものですね。聞いてみると、予約でいっぱいの日も多いようで、ちょっとうれしくなりました。
なんとなく立ち去りがたい魅力を感じましたが、その日はやむなく帰りました。いずれ、吉野や熊野の小温泉レポートなんかも書いてみたいと思います。
大迫ダム。この水底に古くから親しまれた、かつての入之波温泉があるそうです
文・写真提供

竹林 賢三

TAKEBAYASHI KENZO

*掲載内容は2016年2月に取材したものです
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