〈生駒市〉私のアイデンティティーとなったのは祖父が遺した故郷の伝統工芸 “茶筅”でした/茶筅師 有山正貴さん

奈良で活躍する“奈良もん”
今回は、茶筅師の有山正貴さんをご紹介!

生産量日本一の茶筅(ちゃせん)のまち・生駒市高山町。この地で生まれ育った有山正貴さんは、かつて祖父母が生業とした茶筅づくりの道へと歩みを進め、日々研鑽(けんさん)を積んでいる。
茶筅師 有山正貴さん
代々高山町に暮らしてきた有山家。茶筅づくりは有山さんの祖父・清一さんが「明竹園」の屋号で1950年から始め、2005年頃、同人が高齢となったことを理由に廃業となった。
有山さんが茶筅師を志すようになったのは昨年の5月。実家にある茶筅と祖父の遺影を見ている時にふと「やりたい」という気持ちが湧いたという。
茶筅づくりをする祖父母
本年で31歳を迎えた有山さん。20代まではギターを持って海外を旅したり、大阪で妻と共に飲食店を営んだり、DIY、日本語教師、国際交流団体の運営などさまざまなものに熱中してきた。その一方で“僕と言えば○○”のような、自分らしさを表すようなものに出合うことができなかった。
「『僕はこういうことをしています』、と胸を張って言えるものを持ちたいという気持ちと、地元で活動したいという思いが重なったのも茶筅師を目指すきっかけになったかもしれません」
有山さん作の茶筅
両親に相談の後、茶筅師の谷村丹後さんの下を訪ね自らの思いを伝えると、一度茶筅をつくって持ってくるように言われた。祖父が遺した道具を手に、同じく茶筅師であった父にも助言をもらい仕上げた茶筅を持っていくと「次は、この工程をやっておいで」と。こうして繰り返しつくっては谷村さんを訪ね、現在では1~2週間に1度の間隔で通いながらその腕を磨いている。「丹後さんは人情深く、教え方もとても上手。通ううちにだんだんと距離も近づき、今ではとても仲良くさせてもらっています」
谷村さんを通じ、中川政七商店とも縁が繋がった。同社が営むカフェ「茶論」や「SaDo Stand」で使用される茶筅に有山さんのものも採用されているとか。担当者によると、将来的に直営店の販売商品としての取り扱いも検討しているとのこと。
故郷での茶筅づくりを通して、地元で育った者が、地域に根付き活動することの大切さを知ったという有山さん。茶筅に加え、実家が所有する田んぼでの米づくりも始めた。また、茶筅への知識を深めるため、近くの竹やぶの整備や茶道も習っている。
「祖父から繋がる茶筅業だけでなく、高山の風景や、自然、人の温かさも、自分の大切なアイデンティティーだと感じています。まずはこの土地でしっかりと茶筅づくりを学び、田んぼや竹林とも関わりながら、高山らしい暮らしと文化を未来へ繋いでいきたい。そしていつか、世界の人たちにも、この土地の魅力や日本人の精神性を伝えていけたら」と話した。

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