〈開催レポ〉奈良大好き人間たちによる 第4回アジールさんぽ   

「奈良、冴ゆる。」朝の静謐さ沁みる奈良さんぽ

【冴・ゆる】(さ・ゆる):凛とした寒さが際立ち、寒さが一層増す感じを表す冬の季語です。『冴ゆる』を体現する地、奈良。冬の朝だからこそ楽しめる奈良を、各日定員10人の少人数制で案内する「アジールさんぽ」が、厳冬の2月23日~25日(25日は悪天候で中止)に開催されました。23日は生憎の雨模様となり冷え込みましたが、参加者の皆様は、「雨や寒さも苦にならない満足度」と、枕草子にある「冬はつとめて」の風情を奈良の古刹で体感されたようです。

お水取りの前行「試別火(ころべっか)」中の二月堂から手向山八幡宮へ

朝6時、主宰のホテルアジール・奈良に前泊された方と大阪や奈良県各地から当日駆け付けられた方々8名は、ロビーのティーラウンジで、茶粥や甘酒、バナナ、コーヒーなどで軽く腹ごしらえ。

主催者の挨拶後、ラジオ体操でカラダにスイッチを入れた後、ホテルのバスで東大寺境内近くまで移動しました。当日の案内役は、なら・観光ボランティアガイドの会「朱雀」の武野正さんと三宅学さんで、名タッグのお二人によるユーモアも交えた掛け合いによるわかりやすい解説が始まりました。

やや明るくなりかけた二月堂の舞台上で、3月1日から始まる「お水取り」にちなむ話を伺いました。この舞台を走るお松明のこと、本尊の大観音・小観音のこと、内陣で行われるのことや、すでに別火坊でお供えの椿の造花(糊こぼし)餅の用意などが進みつつあることなど、盛りだくさんな案内がありました。

早速メモを取り始めた方も
奈良市街一望のスポット

登廊を下り、参籠所前に立てかけてあったお松明用の寄進真竹まだけ閼伽井あかい屋根のを見て竹送りやお水送りのことを聞き、東大寺で一番古い三月堂(法華堂)とその向かいの四月堂を経て、手向山八幡宮へ。

向かい鳩紋のハートがキュートすぎる手向山八幡宮

手向山たむけやま八幡宮は東大寺の守護神で、大仏鋳造の折に大分県の宇佐八幡神が勧請されたそうです。八幡様のお使いのハトが向き合あったかわいいハート形の紋に目が行きます。

奈良では鹿が芝刈りする?!

続いて若草山山麓。頂上から奈良市街を一望できる三重の山は、1月末に山焼きが行われ、黒い山肌を見せていました。陽気の頃になると春萌えとともにきれいな若草色に変わります。

ガイドさんから、「手前の鹿が遊ぶ地の芝がきれいに刈り込まれた状態なのはなぜ?」「鹿さんが芝刈りしてくれているのです。人件費大助かり」とあり、皆、「なるほど」と笑いながらうなずきました。

春日大社では金運ご利益ありの石灯籠探しも

さて水谷川を渡れば、春日大社境内地。水谷神社で健康を祈り、摂社・末社の並ぶ道を本殿へ。途中、遣唐留学生・阿倍仲麻呂公「天の原 ふりさけみれば春日なる・・・」の歌碑の案内もあり、朱塗りの回廊では「青丹あおによし」の説明がありました。

「砂ずりの藤」前では、春日大社は藤原氏の氏神だから藤紋、春日の神様・武甕槌命タケミカヅチノミコトは常陸の国(現茨城県)から鹿に乗ってこられたので、この界隈の鹿は神鹿として保護されていることなどの説明後、本殿前でお参りし、楼門から御間道あおいみちを抜けて若宮社へ。

途中「春日大社の石灯籠は2,000基ありますが、中に〝春日大明神〟と彫られたものが10数基あり、3つ見つけるとお金持ちになれるとか」と言われ、皆様ガイドのヒントを基に探します。

春日若宮から金龍神社、禰宜道、いにしえの社家町・高畑界隈

後醍醐天皇が立ち寄られたことに由来する金龍神社へもお参りし、金運の上昇をそれとなく祈願して、春日大社勤めの神官さんたちの通勤路「禰宜道ねぎみち」をチェック、その神官さんたちの居住区「社家町しゃけまち」を抜けて新薬師寺へ向かいました。

道中、新薬師寺の塔頭で空也上人ゆかりの「隔夜寺かくやじ」を過ごし、縁切り・縁結び寺「不空院」前の通りへ。今は取り外されている鹿止めの「バッタリ門」について当時の写真を示しながら情報提供。ちなみにその門柱は新薬師寺の山門脇に鎮座していました。

隔夜寺
バッタリ門の名残

バサラ神将で知られる名刹・新薬師寺

新薬師寺の壁の5本線についても「寺格が天皇家級だと5本付けることができます。ここは聖武天皇の病気平癒を祈念して光明皇后が創建された寺だからです」と。

9時前、新薬師寺の守護神・鏡神社に到着。千木ちぎを指し、春日移しであることなどの説明を受けながら新薬師寺の開門を待ちました。同寺の本尊。薬師如来様を十二神将が円陣で取り囲む本堂で中田定観住職の法話を拝聴。

〝新=霊験あらたかなる〟寺で、過去には大伽藍だったことや、本堂ははりむき出しの屋根と、素焼き瓦の床が物語るように食堂じきどうだった建物、十二神将の一体は奈良時代のものでないことなど、寺のリーフレットには載っていないことなども含めてのお話。

「神将は土を固めた塑像そぞう。崩れずになお立ち続ける像の随所に残る彩色跡を見つけてみてください。またこれら40本の円柱の木は、伐り出される前からすると2,000年を生きています。森林浴をしていってください」との住職の話に、「そういう鑑賞法もあるのか」と感慨深い思いを抱かれた方もあるかと。

奈良三名椿の古刹・白毫寺

新薬師寺を後に、北山辺の道を高円山西麓の白毫寺へ。住宅地を抜けて130段の石段を登ります。海抜230メートルの地に建つ古刹からは、晴れていれば眼下に奈良盆地、右手に興福寺や東大寺、向こう正面に生駒山、左手には葛城・金剛山まで見晴るかせるそうですが、当日は雨霞に煙っていました。それでも興福寺の五重塔などはシルエットではっきりわかりました。

本尊・阿弥陀如来坐像をはじめ、閻魔王えんまおう坐像やその脇侍など重文の仏像が安置されている宝蔵で宮崎芳泰住職の話を伺いました。閻魔様は知っての通り、生前の行いによって死後の行先を裁判する方ですが、住職によると「元は人間で、最初に死んだ人。死後、裁判官になられたが、お地蔵様の忠言も鑑み、慈愛の心で判決を下す方」とのこと。

左右に控えるのは、司命しめい司録しろくで、裁判官の判決を読み上げ、記録する方々だ。ここで主催者からうれしいプレゼントが手渡されました。「えんまみくじ」です。皆さん即座に開けて「わっ、大吉♪」「私は吉」などと内容を読み、写メを撮りと大喜び。

続いて本堂前で、珍しい五色椿の話を聴きました。3月~4月に花開き、根元にその花弁を散らせた様子の写真を示され、皆さん見入っていました。先の二月堂「糊こぼし(良弁椿ろうべんつばき)」、伝香寺でんこうじの「散り椿(武士椿さむらいつばき)」とで奈良三名椿さんめいちんと称されます。

冬の奈良の早朝散歩はここまで。迎えのバスでホテルへ戻りました。

疲れを癒やす和食ブランチ

そこでは、前菜盛り合わせに、造り盛り合わせ、揚げ物、煮物、和え物、季節野菜とヤマトポーク鍋、みそ汁のご馳走春膳が待っていました。食後にはデザートと珈琲のサービスも。冷えた体に、あたたかい食べ物で、皆さん身も心もほぐれて、食事中の会話も弾んでいました。
さらに、「入浴ご希望の方、よろしければどうぞあたたまって」とホテル支配人からの申し出。4人の方が利用され、「さんぽも良かったし、食事もごちそうでしたが、お風呂。最高のもてなしです♪日帰り参加料金、安過ぎませんか?」と、顔や体をほてらせてホテルを後にされました。
皆さま、冷たい雨の中でしたが、誰一人それをぐちられる方はなく、むしろ「雨もいいねえ。今度はまた晴れた日に来てみたいな。それとこのイベントは次回も来るよ」と。実は昨年から通しで参加されている方たちもいらっしゃったことを付記します。
※総歩行距離約4㎞・約4時間30分+食事1時間
電話:0742-22-2577(ホテルアジール・奈良) メール:asyl@worldheritage.co.jp

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