主祭神の井上内親王は第49代光仁天皇の妃。宝亀元年(700)に天皇が即位すると皇后となり、子の他戸親王も皇太子となりました。しかし宝亀3年(772)、天皇を呪詛した疑いをかけられ皇后位をはく奪されると、他戸親王も廃太子となります。一説では山部親王(のちの桓武天皇)を擁立する藤原百川による策謀と伝えられます。その後2人は大和国宇智郡(五條市)に幽閉され、宝亀6年(775)に母子ともに薨去します。
薨去後、桓武天皇が即位しますが、都に天変地異が相次ぎ疫病が流行します。これを母子の祟りと恐れた天皇は僧侶に読経させ、墳墓を山陵に改葬、さらに「吉野皇太后」の追号を贈るなど手厚く慰霊しました。
以来、無実の罪によって非業の死を遂げた人の恨みが怨霊となって災いを起こすと恐れた人々は、これを丁重に祀ることで自分たちを守護する御霊となると考えるようになり、御霊信仰が誕生しました。
同社には井上内親王母子のほか、早良親王、藤原広嗣、藤原大夫人、伊予親王、橘逸勢、文屋宮田麿の8座が祀られ、あわせて八所御霊大神と呼ばれています。