明治〜昭和にかけて築かれた近代建築。先人たちが知恵と技術を集結させて造りあげた建造物には現代建築にはない独特な芸術性、また物語性を持つ。今回は、選奨土木遺産に認定される奈良・京都南部の近代建造物8スポットをご紹介。

土木学会選奨土木遺産とは

歴史的建造物のうち、土木構造物の保存に資することを目的として、公益社団法人土木学会が平成12年(2000)に創設した認定制度。 推薦および一般公募の中から、年間20件程度を選出し、認定証と銘板を授与している。2022年3月現在で463件が認定されている。

【大淀町】薬水拱橋 ●くすりみずきょうきょう

■大正元年(1912)

110年の歴史を物語る赤いレンガの眼鏡橋

旧吉野鉄道(現・近鉄吉野線)吉野口〜吉野(現・近鉄六田駅)間開業時に建設された2径間アーチ橋。要石を竪積レンガで構成した珍しい構造を採り、笠石・帯石には歯飾り、西面上部には「薬水門」の扁額と意匠面に個性があふれる。壁柱にバットレス補強(後補)された点も珍しい。

隧道(トンネル)各部の名称

道路をまたぐ薬水拱橋は側面を門と捉えているため、隧道(トンネル)の意匠を施している。

【生駒市】生駒鋼索線・生駒山上遊園地飛行塔

■大正7年(1919)
→ブルドックの「ブル」と三毛猫の「ミケ」
巻き上げられるケーブル

近代観光の歩みを示す日本最古のケーブルカー

宝山寺参拝のアクセス路線として大阪電気軌道(現・近畿日本鉄道)が開業した日本最古の鋼索線。昭和4年の生駒山上遊園地開園と共に山上線を延伸した。また同園飛行塔は戦時中の金属供出を免れ、開業当時から現在も稼働する最古の大型遊具。私鉄による観光開発の歩みを示す貴重な資料だ。
生駒山上遊園地飛行塔

【奈良市・木津川市】奈良市水道関連施設群

■大正11年(1922)

市営水道100年始まりの地

木津川から取水した水を奈良へ配水するために木津川市と奈良市に設置された市営水道施設。ギリシャ建築のような意匠を施す旧高地区配水池や赤レンガが美しい旧計量器室など、創設時の姿を色濃く残す。旧計量器室には門標を中心に「水」の字をあしらったような幾何学的なデザインも!

【柏原市・三郷町・王寺町】JR関西本線第3・第4大和川橋りょう

■昭和7年(1932)

大災害を乗り越えて大阪と奈良を結ぶ鉄橋

昭和6年から翌年にかけて発生した亀の瀬地すべりの影響で崩壊した亀ノ瀬トンネルの代替ルートに架けられた鉄道橋。第4橋梁はカーブしながら架かるため、24基もの橋脚が使用され、かつ大和川の流れを阻害しないように配置されている。また3か所に桁受桁を介する構造も珍しい。

【奈良市】奈良市総合観光案内所

■昭和9年(1934)

寺院のような威容を誇る古都・奈良の玄関口

JR奈良駅の2代目駅舎。昭和10年前後に流行した帝冠式の建物で、デザインは懸賞に落選した京都帝室美術館の設計案を再利用したもの。外観には相輪や風鐸、内部には折上格天井など寺院建築の影響がみられる。駅舎時代には線路に沿って両翼を伸ばす大規模な建物だった。

帝冠式とは

鉄筋鉄骨コンクリート造の様式建築に和風の屋根を掛けるなどの日本趣味が加えられた、和洋折衷の建築様式。伊藤忠太(橿原神宮の設計者)や武田五一らによって推進された。国内や満州国などの官公庁舎に多く用いられた。

【南山城村】関西電力大河原発電所・大河原取水堰

■大正8年(1919)

自然豊かな峡谷に現る「新しい芸術」

京都電燈の水力発電施設として建設され、現在も木津川の蛇行を利用した水路式発電を行う。アールヌーヴォーの影響を残した赤レンガの本館や石積みの取水口、隧道など当初の姿を見ることができる。中でも石貼りが美しい坊主堰堤は奇岩が連なる峡谷の中にひと際存在感を放つ。

【笠置町】JR関西本線木津川橋りょう

■明治30年(1897)

二度の大改修を受け残る115歳の現役橋りょう

関西鉄道上野駅-加茂駅間の開業に伴って架けられた鉄道橋。当初はプラットトラス橋だった2連目を大正15年に曲弦ワーレントラスに付け替え、ポニーワーレントラス橋だった1連・3連目は上にランガーアーチを補強するなど、適切な更新によって橋の長寿命化を実現した。レンガと石材で造られた橋台・橋脚はほぼ建設当時のまま。

景観と調和する鉄道橋

鉄道橋は大別すると①桁橋、②アーチ橋、③吊橋の3種類。本特集で掲載した2か所の橋りょうは「桁橋」に分類される。中でも第4大和川橋りょうは2枚の鋼板を桁とするガーダー橋、第3大和川橋りょうと木津川橋りょうは鋼材を三角形に組み合わせた骨組み(トラス)を架け、荷重を持たせるトラス橋を採用している。いずれも距離や工期、景観などを考慮して選定されるため、機能美や物語を感じることができる。

【五條市】国鉄五新線跡

■昭和34年(1959)

紀伊山地を縦断する幻の鉄道路線

吉野杉などの木材の輸送を目的に五条駅と新宮駅を結ぶ計画だった未成線。大正11年に予定線となり昭和14年に着工。太平洋戦争での中断を経て五条-城戸間の路盤が完成したが、モータリゼーションの進展などにより計画が断念された。五條市内各地にトンネルや橋梁が残り、一部は研究施設などに利用されている。

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