〈五條市〉怨霊となった悲劇の親子『井上内親王』と『他戸親王』ゆかりの地を行く

井上内親王と他戸親王親子の悲運な生涯を追う

天平時代の女帝・称徳天皇の異母姉(父親は聖武天皇)の井上[いのえ]内親王。少女時代から28歳まで伊勢の斎王を務め、45歳で光仁天皇との子(他戸[おさべ]親王)を成しましたが、皇位継承争いの犠牲となって母子共に五條に幽閉され亡くなりました。今回は終焉の地を訪ね、その悲運を偲びます。

母子幽閉の場所『聖神社』

井上内親王が幽閉されていたと伝わる場所。ここは子どものいたずらで祟ることはないが、大人が罰当たりなことをすると病魔に犯され、その罰は子孫に及ぶと言われます。

『井上院』

五條市役所の目の前にある井上院(いじょういん)は、もと聖神社にあり、明治末期に現在地へ移転しました。院前には天誅組の五條代官所襲撃を手助けした地元の医師・乾十郎の墓があります。

祟り神二柱を祀る『御霊神社』

井上内親王と菅原道真、2人の祟り神を祀る珍しい神社。扁額や石の手水鉢に筏連中奉納の文字があり、盛んだった吉野川の水運を物語っています。

『御霊本宮』

井上内親王の死後、都では様々な天変地異が相次ぎ、悪病が流行。内親王の祟りと恐れられ、その霊を鎮め神として祀るために宮が造営されました。内親王を祀る本殿両脇には他戸親王と弟・早良親王を祀る祠もあります。

地元の人からの信仰厚い『火雷神社』

井上内親王は都を追われるときに、光仁天皇との子を身ごもっていたとも伝わります。五條で生まれた男児は母と兄の恨みを晴らすために雷神になったといわれ、この神社ではその雷神が祀られています。

『井上内親王 宇智陵』

都の天変地異が井上内親王の怨霊によるものとされ、墳墓を改葬し、その墓所を御陵と称して墓守を置きました。内親王はその後、延暦19年(800)に皇后の位に復されました。

『他戸親王墓』

母・井上内親王陵から見える地にある他戸親王墓。お母さんの大きな愛に包まれて安らかに眠られていることでしょう。

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