もう1点も合戦の様子を描いたものですが、左側の者の着物に蝶の文様がありますので平家の公達(息子)とすると、顔立ちが若いので、当時17歳の平敦盛と思います。それを追う右の武将の腹に「向かい鳩」の紋様がありますので、こちらは熊谷直実です。一の谷の合戦のあと、沖にある平家の船を目指して敦盛が逃げようとする場面でしょう。後ろに波打ち際が描かれているのもうなずけますね。このあと直実が、自分の息子に年格好が似ているので首を取るのを躊躇する名場面になります。絵師の名前は2点とも「護林」と書いてありました。文久元年の3年前、安政5年(1858)にこの拝殿が改築されましたので、新しくなった拝殿に見合うように奉納されたものかもしれません。