電話で何かの問い合わせをするとき、長い自動ガイダンスにイライラしたことはないだろうか。案内に従ってボタンを押していくと、揚げ句の果てに「ただいま大変混み合っています。後ほどおかけ直しください」と切られてしまうことがある。そんな時はぶつけようのない怒りが湧いてくる。
先日、百貨店へ商品についての問い合わせをしたが、自動ガイダンスに従って進んだ結果、「メーカーに直接お問い合わせください」と言われた。ナビダイヤルで料金もかかるとなると、なおさら気持ちは落ち着かない。
しかも、ようやくオペレーターにつながったと思ったら、最初から同じ説明をもう一度求められることもある。「それ、さっき全部押したのですが」と心の中でつぶやいた経験のある方も多いのではないだろうか。
もっとも、自動ガイダンスは企業や行政にとって必要な仕組みでもある。人手には限りがあり、効率化や人件費の抑制につながる上、カスタマーハラスメントへの対策としての役割もある。
少し前に、奈良公園の鹿を巡るSNS動画の影響で、奈良県庁に過剰なクレームが寄せられ、職員が疲弊しているという話があった。その後ナビダイヤル導入に踏み切ったという。
こうした事情を思えば、一概に不満ばかりも言えない。むしろ現代社会においては、必要不可欠な仕組みと言えるだろう。それでも、ふと考える。私たちは、効率や防御のために、自分の時間を少しずつ差し出しているのではないだろうか。いつ終わるとも知れない案内に従い、時には料金も払いながら、結局解決しないこともある。その積み重ねが、小さな疲れとして残っていく。便利になったはずの世の中で、人と人とが直接言葉を交わす機会は、少しずつ減っているのかもしれない。
よみっこ編集長 朝廣 佳子
