〈伊賀市〉自然や歴史を作品に投影『伊賀焼 光林窯』

自然や歴史を作品に投影

『伊賀焼 光林窯』

陶芸家 新 佳三さん 輝美さん
伊賀市の北東端にある柘植町。のどかな山間に、夫婦共々陶芸家の新佳三さん(75)と妻輝美さん(75)が構える光林窯がある。
伊賀焼は信楽焼とは別物で、桃山時代の茶陶伊賀のこと。伊賀焼の方が硬く、耳が付いているものが多いことから「伊賀に耳あり、信楽に耳なし」ともいわれる。新さんは伊賀焼を伝える数少ない作家だ。
敷地内にあるりっぱな穴窯と登り窯はすべて新さんの手作り。大工さんと一緒に自宅まで自分で建てた。
個展の度に新作を焼くが、今は一番小さい薪窯で作る。何日も寝ずにつきっきりで火の調整をしなければならない穴窯や登り窯に比べ、角窯だとほぼ一日徹夜で火の番をするだけで済むという。
今では茶陶として名を馳せる新さんだが、最初は違う道を考えた。大阪生まれ。得意なスキーで身を立てようと思っていたが、度重なる骨折で断念。やむなく、大学卒業後、好きだった陶芸の益子焼に向かい、益子塚本製陶所研究生に。
だがいい土はすべて伊賀にあることを知り、30歳の時に伊賀に移った。伊賀上野三軒窯に入れてもらい、ここで西山窯に弟子入りしていた陶芸家の輝美さんと出会った。
結婚した二人は今の柘植町に光林窯を構えて独立。40歳から茶道具の制作に切り替えた。最初は真似るところから始まり、自然や歴史から自分の感性を磨いていった。
新さんは、自分の心に響いた形をイメージして作品に投影する。たとえば薬師寺の薬師三尊像や高松塚古墳の美人画、大峯山に登った時の山伏の姿、お地蔵さんなど。ゆえに様々な場所に出かけていく。
またこの伊賀で生まれた松尾芭蕉の感性にも触れたくて、個展は芭蕉が歩いた道をたどったゆかりの場所で開いてきた。伊賀上野から始まり、津、白川、仙台、福島、新潟などで数年に一度の個展を行っている。
「陶芸は奥深いんです。たとえば釉薬でも真行草がある。青磁や白磁は真とされてきた。だから戦国武将にも愛されてきたんです」
伊賀に移り住んで45年、個展の数も減らし、最近は陶芸教室で輝美さんと二人で陶芸の楽しさを伝えている。
「自由に制作していただき、後でこちらで釉薬をかけて焼いて仕上げます。はまる方が多くて何度も足を運ばれる方も。この柘植町の自然に触れていただき、無心で土を触っていただくと、心が落ち着きますよ」 
陶芸教室
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