〈大和郡山市〉天下人・豊臣秀吉を支えた100万石の右腕は奈良に眠る『大納言塚』

大和郡山の礎を築いた“大和大納言”の墓所

大和郡山城の南西、近鉄郡山駅から真西に10分ほど歩いた場所にある『大納言塚』。ここには豊臣秀吉の右腕として手腕を発揮した秀吉の実弟・豊臣秀長が眠っています。秀長の最終官位が「大納言」であったことから『大納言塚』と呼ばれています。

大和・紀伊・和泉三国100万石の太守として大和郡山に入部し、郡山城の大普請や箱本制度の確立など、現代に通じる大和郡山の礎を築いてきた秀長ですが、1591年に52歳の若さでこの世を去ってしまいます。

当初はこの付近に秀吉が建立した菩提寺「大光院」が墓地を管理していましたが、豊臣家の滅亡により、同寺は京都へ移され、位牌は東光寺(のちの春岳院)に託されます。

その後、墓地は荒廃してしまいますが、1777年に春岳院の僧・栄隆や訓祥が郡山町中の協力を得て、五輪塔を建立。塚の周りには土塀を巡らせ現在の姿になりました。

高さ2mの五輪塔には地輪の前面に秀長の戒名、背面に建立者の訓祥および郡山町中の署名が刻まれています。前の台には豊臣家の家紋「五三桐」と「箱本」の文字が。どちらも秀長を象徴するものですね。

また墓所の前には『お願いの砂箱』があり、名前と願い事を唱えて三回砂を通すと願いが叶うそう。ちなみに夏場に行くと蓋がとても熱いのと、蓋の裏に虫が潜んでいることがあるので、箱を開ける際は要注意です。

基本情報 Basic Information
大納言塚/だいなごんづか
  • 住所: 大和郡山市箕山町14

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