
10年日記をつけている。それもスマホのアプリで。書くことは好きなのだが、10年日記のスマホ版を見つけて使ってみると、その日の写真も写真アプリと連動して引き出してくれるので使い具合がいい。スクロールすると〇月〇日の10年分を一気に見ることができる。
だがちょっと心配なのは、このアプリが突然終了することはないかということ。電子ツールは便利だが、何かの不具合で突然消去されてしまうことだってある。日記を持って死ねるわけでもないし消えても仕方ないとは思うが、死ぬまで思い出は大切にしたいのだ。
ところで、先日奈良国立博物館の『超国宝展』に行った。開館130年記念展というだけあって、奈良の宝物が惜しげもなく出展されていて、見ごたえがあった。そういう展覧会で千年以上前の写経などがきれいな状態で遺されているのを見ると、やはり紙ゆえに残っているすごさを思う。高僧による高貴な写経などは然りだが、下級文官のメモ書きとか都に献上品を送った送り状とか、その人の筆跡から人柄まで伝わってきて、親しみを持って観ることができる。これら貴重な資料などは今後もデータ化して遺され続けるのだろうが、すでに電子化が進んだ今の時代の暮らしや文化はどう残っていくのだろうか。
写真も心配だ。昔はプリントして一枚ずつアルバムに丁寧に貼っていて様子がすぐわかったが、最近撮ったものはそれぞれのスマホの中にあり、下手するとそのままスマホとともに消えてしまう可能性が高い。後世に遺すという大層な意味合いでなくても、ぜひ何枚かはプリントしてアルバムにしておくことを勧めたい。簡単な自分史を作っておくのもいい。人は誰だってドラマチックな人生を送っている。幼少から晩年まで記録に残しておいてはどうだろうか。子や孫たちが大切にしてくれるかもしれない。もちろん電子データではなく紙媒体で。ちなみに読売奈良ライフは自分史づくりをサポートしています。最後は宣伝になってしまった。
よみっこ編集長 朝廣 佳子