先日、倉敷の実家に戻った。誰も住まなくなった実家の大量のゴミを処分するためだ。私と妹、両親、亡き祖父母の代からの荷物がそのまま残っている。驚いたのが祖母と母の物持ちのよさだ。昔の人は皆そうだったと、知り合いのおじさんが言っていた。
紙類が半端ない。包装紙、袋類、請求書、領収書、結婚時や葬儀の時にいただいた祝儀袋や香典袋(水引だけでお金は入っていない)、レシート、60年ほど前からの雑誌、家計簿他書ききれない。祖母は祖父が被服製造業をしていた時の仕入れ帳や掛帳、注文書、送られてきた封筒まで束にして取ってあった。
祖母宛て、母宛て、そして私が若い頃に友人からもらった手紙類も大量に出てきた。考えてみれば、昔はすぐに手紙を書く習慣があった。紙だからこそ、こうして簡単に昔を振り返ることができるのだろう。
さらに、たくさんの写真とキャンバス。父はカメラや油絵など多趣味だったので、何冊ものフィルム帳やアルバムが出てきた。また油絵も何十枚もあり、こうしたものはなかなか捨てにくい。
一番驚いたのは、押し入れの奥から出てきた散弾銃の弾薬だ。25個入りが7ケースもある。手伝いに来てくれた人が「これは散弾銃の弾や」と教えてくれ、すぐに警察に連絡した。ところが警察は、最近は引き取っておらず、自分で猟銃を扱う店に持っていって処分してくださいと。しかも落としたり衝撃を与えたりすると暴発する可能性が高いという。誰が狩猟の免許を持っていたかも定かでなく、厄介なお荷物だけが残った。
そんなスリリングな片付けではあったが、古い手紙や帳面、写真を見ていると、こうした家族の歴史の上に自分は育ってきたのだと感慨深いものがあった。何もかもがIT化する時代。これからは、押し入れの奥から昔が突然現れるようなことは少なくなるのかもしれない。そう思うと、少し寂しく残念な気持ちになった。
よみっこ編集長 朝廣 佳子
