一願成就と魅力の絵馬 調田坐一事尼古神社

平敦盛と熊谷直実による一の谷の場面を描いた絵馬。文久元年(1861)の作

《連載》
新日本妖怪紀行|第23回

一願成就と魅力の絵馬
調田坐一事尼古神社

今回は「ひとつの願いなら、なんでもかなえる」という調田坐一事尼古神社つくだにいますひとことねこじんじゃに行ってきました。一事尼古大神ひとことねこおおかみ事代主大神ことしろぬしおおかみを祀る式内大社で、どちらも『古事記』に登場する日本古来の神様です。拝殿には150年以上前の絵馬もあり、それも楽しみで行ってきました。近鉄南大阪線尺土駅から歩いて10分ほど。今号は珍しく、神社レポートをお届けします。

神様が天皇のものまね

雄略ゆうりゃく天皇が葛城山で鹿狩りをされたとき、大胆にも天皇一行と同じ姿で現れ、同じことを言い、同じ振る舞いをする者たちに出会いました。最初、天皇はものまねをするいやなやつと思ったようですが、「名を名乗れ」と問うとわれ悪事まがごとも一言、善事よきことも一言で言い放つ神なり」と言い、「一言主大神である」と答えたのです。まさか、神が人の姿で現れると思っていなかった天皇は、恐れ多いことと大刀や弓矢、衣などを奉ると一言主大神は喜んで受け取り、帰りはお伴を連れて天皇一行を長谷の山の入り口までお送りしたということです。この話は『古事記』の人代篇にあります。
川中島の合戦を描いた絵馬。これも文久元年(1861)の作

ひとつの願いならなんでもかなう

全国に一言主の神を祀る神社はありますが、今回は葛城市疋田にある調田坐一事尼古神社におじゃましました。この神社の御祭神、一事尼古大神も一言主大神と同格の神であると言われ、一言で託宣を下す強い霊力を持った神様です。しかも尼古ねこは男神を意味しますから、そうとう力の強い神様なのでしょう。お話をお聞きしました髙津たかつ宮司によりますと、ひとつの願い事ならなんでもかなえてくださるということ。古来から一願成就の神として崇敬されているのです。
そしてもう一柱の神、事代主大神も託宣を司る神で、大国主おおくにぬしの子として国譲りの誓約を行いました。ですから出雲の神と思われがちですが、元はここ葛城の田の神なので、そのせいか、この神社では若衆が牛面を被り、田作りの作法で豊作を祈願する「おんだ祭り」が行われます。毎年3月6日に行われ、来年もその予定です。たくさんの福餅もまかれますよ。
多数の絵馬が奉納されている拝殿

絵馬の迫力と魅力

そして、この神社のもうひとつの魅力は拝殿に奉納されている絵馬です。一番古い絵馬は文久ぶんきゅう元年(1861)の作品で2点あり、ひとつは武田信玄と上杉謙信の川中島の合戦を描いたもの。信玄はおなじみの軍配うちわを持ち、謙信もおなじみ白頭巾姿の行人包ぎょうにんづつみ「川中島」は、当時の浄瑠璃などで人気の演目だったのでしょう。
もう1点も合戦の様子を描いたものですが、左側の者の着物に蝶の文様がありますので平家の公達きんだち(息子)とすると、顔立ちが若いので、当時17歳の平敦盛たいらのあつもりと思います。それを追う右の武将の腹に「向かい鳩」の紋様がありますので、こちらは熊谷直実くまがいなおざねです。一の谷の合戦のあと、沖にある平家の船を目指して敦盛が逃げようとする場面でしょう。後ろに波打ち際が描かれているのもうなずけますね。このあと直実が、自分の息子に年格好が似ているので首を取るのを躊躇ちゅうちょする名場面になります。絵師の名前は2点とも「護林」と書いてありました。文久元年の3年前、安政5年(1858)にこの拝殿が改築されましたので、新しくなった拝殿に見合うように奉納されたものかもしれません。
とにかく、創建の年代がわからないぐらいの古社で、平安時代の延喜式神名帳えんぎしきじんみょうちょうには霊験あらたかな大社として記載されています。奈良には普通の地元の神社のように見えても歴史があり、内容も豊富な所が多数あります。ぜひ、みなさんにも周辺の神社めぐりをおすすめします。意外な側面がわかって楽しいですよ。
お話をお聞きしました宮司の髙津和司さん(右)と息子の幸史さん(左)。
ありがとうございました
文・写真提供

竹林 賢三

TAKEBAYASHI KENZO

*掲載内容は2017年6月に取材したものです
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